「広島の歴史と文化」セミナー

  • 日 時 : 2015年 11月11日~ 2016年 3月23日 水曜日 18:30-20:00
  • 定 員 : 30 名
  • 金 額 : 毎回 500円 ( 当日お願いします )
日 程 セミナー内容 講 師
11月11日 第1回 築庭400年 縮景園の歴史と文化 観光アシスタントひろしま副会長 入川 実
11月25日 第2回 明治・大正期、広島を元気にした財界人(1) 郷土史家 田邊良平
12月 9日 第3回 広島高等師範学校の役割 広島大学教授 山田浩之
2月24日 第4回 比治山のフランス人墓地 広島大学名誉教授 原野 昇
3月23日 第5回 明治・大正期、広島を元気にした財界人 (2) 郷土史家 田邊良平

セミナー趣旨

第1講  「築庭400年 縮景園の歴史と文化」

私たち「観光アシスタントひろしま」は、広島を心から愛する人たちが自主的に運営しているボランティア団体です。平成14年に発足し、会員は約90名で、年間約1万人のお客様をご案内しています。

このたび、上幟町にコミュニティ・アカデミー上幟が発足し、講座「広島の歴史と文化」(座長 田邊良平)の最初の講義の一つで「縮景園」が取り上げられ、私たちの会に講義の依頼がありました。「縮景園」は約400年前に築庭された大名庭園として有名であり、広島といえば縮景園、上幟といえば縮景園というほど私たちの心の故郷になっています。

この講義では、庭園様式の移り変わりと大名庭園、築庭時の様子とその後の大改修による変容、築庭者「上田宗箇」の人となり、「縮景園」のみどころとヒント、観光客の感想などをお話したいと思います。

単独チラシ「築庭400年 縮景園の歴史と文化」を見る (PDF)

第2講 「明治・大正期、広島を元気にした財界人」

明治維新のバスに乗り遅れた広島藩は、新政府になって中央で活躍する人物が出ませんでした。果たして人材がいなかったのでしょうか?「神機隊員の活躍」「浅野長勲の功績」など。一方、財界人は、広島の地域活性化に積極的に取り組んできました。「亀岡勝知」「松本清助」「野村保」らの、特徴ある活躍振りを紹介致します。

広島は、原爆の廃墟から立ち上がり、こんにちの繁栄を見るに至りました。原爆のインパクトが 余りに強かったことから、原爆以降が広島の歴史と考えられているようですが、しかし、原爆以前にも広島にはいろいろな歴史があったのです。広島人は案外このことは忘れられているようですから、私は、あえて原爆以前の歴史に焦点をあてて、語り継いでいるのです。明治維新以降原爆までの広島を知って頂けたら、広島がもっと好きになって頂けるのではないかと存じます。

単独チラシ「明治・大正期、広島を元気にした財界人(1)」をみる (PDF)

第3講 「教育の中心地、広島 ― 広島高等師範学校の遺産」

広島は昔から「教育の西の本山」と言われてきました。教育に力を入れるとともに、数多くの優秀な教育者や教育研究者を輩出してきたのです。その中心になったのが明治35(1902)年に創設された広島高等師範学校でした。広島高等師範学校は、全国から教育を志す優秀な生徒を集め、また、卒業生を全国に送り出してきました。時に学閥の強さを揶揄されることもありましたが、それほど各地域での広島高等師範学校の影響力は強かったのです。

広島高等師範学校の卒業生たちは、師範学校のみならず、中学校、高等女学校で教員として卓越した手腕を発揮するとともに、校長として学校運営や教育行政を支えてきました。その影響力は戦後にも及び、現在も引き継がれています。しかし、広島高等師範学校がどんな学校だったのか、また、広島にとってどのような意味を持った学校であったのかはあまり知られていません。広島高等師範学校を振り返ることで、現在の広島の教育を見直してみてはいかがでしょうか。

単独チラシ「教育の中心地、広島 ― 広島高等師範学校の遺産」をみる (PDF)

第4講 「比治山のフランス人墓地」

比治山の南端にある陸軍墓地の一角に7基のフランス人の墓がある。これらのフランス人は、いつ、どのような経緯で、この地に埋葬されることになったのであろうか。7基の中央に柱状の記念碑が立っており、碑文が刻まれている。それによると、1900(明治33)年の北清事変の時のものであることが分かる。

そこでさらに詳細な経緯を調べようと、フランス各地の古文書館や東京の外交資料館および防衛研究所図書館の戦史資料室を調査した結果、いくつかの関連史料が見つかったので、その一部を紹介したい。

単独チラシ「比治山のフランス人墓地」をみる (PDF)

第5講 「明治・大正期、広島を元気にした財界人 (2) 」

明治維新のバスに乗り遅れた広島藩は、新政府になって中央で活躍する人物が出ませんでした。果たして人材がいなかったのでしょうか?「神機隊員の活躍」「浅野長勲の功績」などを紹介します。 一方、財界人は広島の地域活性化に積極的に取り組んでおり、「保田ハ十吉」「井東幸七」「海塚新八」らがその先頭に立って、広島を引っ張ってきました。彼らの活躍振りを今回は紹介します。

広島は、原爆の廃墟から立ち上がり、こんにちの繁栄を見るに至りました。原爆のインパクトが 余りに強かったことから、原爆以降が広島の歴史と考えられているようですが、しかし、原爆以前にも広島にはいろいろな歴史があったのです。広島人は案外このことは忘れられているようですから、私は、あえて原爆以前の歴史に焦点をあてて、語り継いでいるのです。明治維新以降原爆までの広島を知って頂けたら、広島がもっと好きになって頂けるのではないかと存じます。

単独チラシ「明治・大正期、広島を元気にした財界人(2)」をみる (PDF)

講義の進め方

講義はレジメに基づき、スライドも使って説明したいと思います。

講師紹介

入川 実(いりかわ・みのる)

 1947年、広島県竹原市生まれ。電機メーカーにて営業を担当。61才にて退職を機に「観光ボランティア」として主に「縮景園」を担当。その他、現在の住まい安佐北区落合地区にて「日本ことばについて」「親子農業体験塾」など熟年及び子供を対象とした講座でボランティア活動中。

田邊 良平(たなべ・りょうへい)

昭和9年11月、広島市出身、金融機関に勤務。退職後、原爆以前の広島の姿を周知してもらうために、歴史・文化・風土などの紹介に務めて来ました。現在、広島の月刊誌「経済春秋」に、「広島政財界人物誌」を連載中で、12月号で180回となります。加藤友三郎の銅像復元、二葉あき子の歌碑建立に関わり、目下、江戸時代から原爆以前まで続いた「二葉の里の桜並木」を復活させる活動に取組んでおり、二葉の里歴史の散歩道のガイドもしています。

山田 浩之(やまだ・ひろゆき)

広島大学大学院教育学研究科教授。教育学博士(論文題目:旧制中等教員社会の階層構造に関する歴史社会学的研究、広島大学)昭和39年、広島市出身。専攻は教育社会学。戦前の中等教員養成機関、とくに高等師範学校と帝国大学の関係、および、両機関の卒業生について歴史社会学により研究している。近年は、現在の教員の現状を明らかにするライフヒストリー研究なども行っている。また、マンガなどのメディアに描かれた教師像や子ども像についてのユニークな研究もある。

原野 昇(はらの・のぼる)

1943 年、兵庫県生まれ。広島大学大学院文学研究科博士課程中途退学、文学博士(パリ大学)。広島大学名誉教授、広島大学マスターズ副代表、広島日仏協会副会長。著書:『狐物語』(原野他訳、岩波文庫)、『芸術のトポス』(共著、岩波書店)、『フランス中世文学を学ぶ人のために』(編著、世界思想社)他。

原野昇のホームページ http://home.hiroshima-u.ac.jp/nharano/