コミュニティ広場

受講の感想

「フランス南西部を学ぶ」 第1回 オラドゥールの悲劇 
 ~ 広島からオラドゥールを考える。記憶の継承 を受講して 

「フランス南西部を学ぶ」 受講生  広島市東区  吉田 智香

6月20日の講義「オラドゥールの悲劇」を受講したあと、『緑の中の廃墟』を古書で購入し、改めて読んでみました。乱筆極まりない例の、やっつけ感想文を書いてしまったが為に、返って膨れあがった数々の想いに少しでも収まりをつけたい。そんな気持ちからでした。講義の傍題は「広島からオラドゥールを考える-記憶の継承」であったと思いますが、 この僅か30頁足らずの貴い手記をゆっくり噛み砕いたあとごく自然に、オラドゥールから広島、現在の日本を考えていたのでした。

オラドゥールの廃墟の、沈黙と想起を求めるまっすぐな訴えは、その場に赴かずとも、匂いたつ魂のようなものを感じさせ、そのまま胸に突き刺さる思いがしました。

“Souviens-toi ” 直訳すると「思い出して」「忘れないで」となります。しかし、フランス語特有の文法のゆえか、わたしには、「自ら思い起こすべき」とでもいうような響きをもって感じられました。誰に指示されるでもなく、あたかも自然発生的に芽生えた自らの感情であるかのように働きかけるこの言葉に胸を刺されたのは、オラドゥールの悲惨さを肌身に感じたことのみに拠るものではなく、現代に生きるわたしたちに投げかけられた謂わばミッションのようなものに感じられたからです。

戦後、持ち前の勤勉な国民気質をして飛躍的な経済発展を遂げた日本。そのお陰でわたしたちは豊かで文化的な生活のなかで生きてきました。広島で生まれたわたしでさえ、祖父母の生きていた時代に戦争があって、原爆が落ちた日のこと、小さい時から何度聞かされても、どれだけ想像してみても、元安川を、相生通りを歩いて当時の焼け野原に皮膚がただれた人、真っ黒に焦げた人たちが息絶えた惨状の街を頭の中で再現しても、何不自由なく機能する穏やかな街のなかでは、身震いが起きるような感覚から遠く存在する自分を、頼りなく確認するだけでした。

しかしなぜ当時の悲惨な状況を感じようとし、理解しようとしたのか?それはやはり、かつて犠牲となった祖父母世代の悔恨を色濃く残したまま繋いでいかなければならないという、ごくまじめな気持ちがあったからだと思うのです。けれど、著書に挙げられているパスカルの例や、補修されたドームが物語っているように、人は当事者でない限り、枯れた葉が落ちていくように、それが風に吹かれて消えてしまうように忘れ去っていく。そう思います。ただ、わたしたちにしかないものといえば、それは、先祖たちの経験によって多くを学ばせてもらったこと。これは、わたしたちにとって大きな財産だと思っています。

わたしの家は爆心地からおよそ5km離れたところにあり、被害が大きくでた3km圏内から外れていた為もあって、祖母は幸いにも無傷で、祖父は戦地にいましたので被爆していません。しかし広島で育ったことで、原爆の恐ろしさ、戦争の悲惨さ、人間の愚かさについて多くの話を聞き、それなりに考える機会は与えられていたのではないかと思います。

実際、小学生になると毎年8月に平和学習なるものが実施され、被爆された方たちから直接お話しを聞く機会があったり、原爆資料館を訪ねたりしながら、様々な事を学んでいくのですが、わたしは父の転勤で広島を離れていた時期があり、ちょうどその好機を逃しています。ただ、わたしにとって初めての平和学習なるものは小学2年の時、中沢啓治によって描かれた漫画「はだしのゲン」との出会いによって、早々に幕が切られたのです。全10巻ほどの漫画を学校の図書室で借りて読んでは、悔しさ、行き場のない憤りに押しつぶされそうになりながらも、涙しながら読み漁りました。主人公のゲンが、当時のわたしと同い年の設定であったためか、見開き再生パルプ紙のなかの世界で疑似体験を繰り広げていた、と言えるのかもしれません。

そのなかでとくに影響を受けた登場人物、主人公ゲンの父。彼は戦時中において非国民と言われた、戦争反対を信条とする人として描かれていました。酷い拷問にあっても、牢屋に入れられ罪人扱いをされても、決して屈することなく「日本は戦争に負ける。戦争が終わったら良い時代がやってくる。」そう言い続けていました。その姿は、当時のわたしの胸に深く刻まれてしまったようです。

単に、左翼的思想がどうの、その対極であるとかそんなことでは無く、“自分の考えを軸に生きているかどうか?”という、ごくシンプルだけれども、とても大切なことをわたしに教えてくれました。それは常に目の前に立ちはだかり、わたしはそんなふうに生きているだろうか。その後の人生において自問を繰り返すことになったのでした。生来臆病なわたしが、その問いに満足できたことは未だないのかも知れませんが。

7年前の東日本大震災で福島原発から放射能が漏れてから、福島の特産品は売れなくなりました。それはとても自然な成り行きのように思えました。人には危険なものを回避する遺伝子が備わっていると言われているように、より良いものを求めて生きていこうとするものです。しかし、この放射能という言葉は、わたしたち広島に住む者にとってはどこか身近にさえ感じる聞き慣れた言葉です。ただしそこから喚起されるもののなかには、人体に悪影響をもたらすもの。という事ともう一つ、大量の放射線を浴びて被爆した人たちが受けた差別や苦しい思い、その憤りをも、この単語が意味するようにも思えるのです。

当時、母が桃が安くなっていたからといって1 ケース買ってきたことがありました。母は福島産のものであることを知らずに買ってきたようだったのですが、まだ小さな孫もいたこともあってか、家族の反応は様々でした。ただ兄はひとり、「これまで美味いといって食べてきた桃を放射能の影響があるかもしれんけぇいうて食べんわけにはいかんだろう」と言ったと聞いて、わたしは、ゲンの父親に感じたときのような気持ちをふと思い出しました。それと同時に、この発言からおそらくこの広島という土地で育ってきたものとしての小さな宿命のようなものを無意識にも背負っているように感じられました。

今年立て続けに起こった天災の被害となった人たちの言葉にできないほどの個人的体験、著者の広島の居住者となったことから始まった体験、わたしのように広島生まれという者でさえも、大小様々であっても誰もが宿命というものをもっていて、自ずとその宿命に添って生きているのではないか?影響力の差こそあれ、それぞれが、それぞれの役目を背負って生きているように思われました。

『緑の中の廃墟』が書かれてから40年以上経った今、世界は絶えず変化を続けてきました。日本と他国の関係も変わりつつあります。そのなかでわたしたちは立ち止まっているわけにはいかず、前に進まなければなりません。この著書を読み、そして改めて戦争という悲劇が残していった遺産とどのようにつきあっていけばよいのか?という曖昧にしてきた思いに何か新しい風が舞い込んできたような気持ちでいます。

“答え” はないのだろうと思います。ただ、忘却を恐れず、わたしたちにできるやり方で平和を繋いで行くことはできるのではないか、そんな熱い気持ちが込み上がってきました。そこに挑戦していくことが、心の中に滅びぬドームを築くことなのかも知れません。わたし自身、たくさん恥をかかせていただける場に感謝しつつ、ささやかながらも前進していけたらとおもっています。ありがとうございました。

受講講座:「フランス南西部を学ぶ」(2018.6.20~7.18)

 

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