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講座紹介

「広島の科学史家たち」

科学史家 川和田 晶子

2016年秋学期に行なわれた、原田康夫先生の講義「広島の医学史」最終回で、広島大学医学資料館での講義時に、富士川游先生の遺品についての解説をさせて頂きました。原田先生からのバトンを引き継がせて頂き、「広島の医学史」から領域を広げて、近世から近代の「広島の科学史」をテーマにした連続講義を、コミュニティアカデミー上幟で今回、担当させて頂きます。この講義で取り上げる、広島県出身の科学史家、三名について、紹介いたしましょう。

広島市安佐南区長楽寺出身の医史学者・富士川游(1865-1940)は、広島医学校(現在の広島大学医学部)を1887年卒業後に上京し、医学ジャーナリストとして活動しながら、医学史に関する膨大な数の文献を収集し、医学史研究に邁進しました。1904年に大著『日本医学史』を出版し、その功績が認められて、1912年に帝国学士院(現在の日本学士院)恩賜賞を受賞しました。東洋大学社会学科の主任教授を務め、文学博士と医学博士の称号を得て、日本内科学会や医科器械研究会、日本医史学会などの多くの学会や協会の設立を行ないました。富士川游の活動は、医学に留まらず、法学・歴史・文学・宗教・芸術に広く関心を持っていたこともあり、その知己朋友には、夏目漱石や森鴎外などの文豪も含まれていました。1940年に神奈川県鎌倉市で亡くなりました。

安芸高田市甲立出身の数学史学者・三上義夫(1875-1950)は、1890年に広島高等小学校(現在の市立袋町小学校)を卒業後に、関東へ移り住み、仙台市にあった旧制第二高等学校に進学しました。1905年頃から数学(和算)史の研究を始めましたが、その契機になったのは、非ユークリッド幾何学をアメリカに紹介したアメリカの数学者ジョージ・ブルース・ハルステッド(1853-1922)との文通でした。ハルステッドとの交流から、三上義夫は、日本の伝統数学である和算の歴史的研究を行なうことに目覚めさせられたと、後に述べています。1913年に彼は”The Development of Mathematics in China and Japan”(日本語訳:『中国と日本に於ける数学の発展』)を出版しました。東洋の伝統的な数学の歴史について、英語で書かれた、世界で最初の論文として、現在も欧米の研究者の間で高い評価を受けました。

三上義夫は帝国学士院の和算史調査嘱託に1908年から任命され、1923年まで在籍しました。彼が全国各地で行なった精力的な調査により集められた、江戸時代の数学・天文学・測量学等の一次史料が日本学士院図書室に残っています。1945年8月に帰郷し、1947年『文化史上より見たる日本の数学』を出版し、甲立で逝去しました。

北広島町本地出身の哲学者・三枝博音(1892-1963)は、浄土真宗の浄専坊を実家として生まれました。第四仏教中学(現在の私立崇徳高等学校)を卒業後に、広島を離れて、熊本にあった旧制第五高等学校に入り、東京帝国大学文学部に進学し、西洋哲学科で学びました。ハインリヒ・リッケルト、エトムント・フッサール、ウィルヘルム・ディルタイなどのドイツ哲学を学びながら、桑木厳翼や井上哲次郎から日本哲学を学び、同郷の富士川游に医学史を学び、また同郷(広島県御調郡八幡出身)の高楠順次郎に仏教学を学んだこともあり、早くから独自の視点を持っていました。1930年代半ばから、富士川游の勧めもあって、日本史を踏まえた、哲学と思想の研究を本格的に開始しました。それもあって、彼の専門分野での業績としては、日本の技術史と技術哲学に初めて焦点を当てて論じたことが評価を受けています。

また彼は、1946年5月に鎌倉で開校した、私立学校で自由大学「鎌倉アカデミア」の創設に加わり、後に二代目校長に就任しました。「鎌倉アカデミア」に関する記録からは、彼の教育者としての一面を知ることができます。「鎌倉アカデミア」は1950年で廃止されましたが、その後に横浜市立大学の教授となり、学長を務め、1963年に他界しました。

この三名には、広島という郷里を同じくし、また関東へ出て活躍したこともあって、生前に親交がありました。

富士川游は医学史、三上義夫は数学史、三枝博音は哲学思想史を、それぞれ専門としましたが、彼らは、江戸時代に書かれた学者直筆の書簡や写本や、出版された版本などの日本語の一次史料を網羅的に収集し、実証的な方法で、近代までに発展した日本の科学に関する歴史的研究を行なったことが共通しています。また、各人は壮年期に専門分野で、日本の独自性についての認識を深めるのと同時に、西洋の言語を学び、外国の学問と思想についても造詣を深めていました。

彼らの語る科学史の背景には、東洋と西洋の二つの文明が明瞭に区別して認識されていますから、彼らの著作と思想に触れる時には、グローバル化した、われわれ現代人に、日本文化がどこからどのように続いてきたのか、東洋人としての日本人のあり方に気づかせてくれるでしょう。

この講義の構成として、各人につき2回の講義を行ないます。前半では、その人生と、学問に影響を与えた人脈、彼らの集めた歴史史料、思想について解説し、後半では、残された著作からの引用を読み、彼ら自身の言葉で語る日本の科学史を味わって頂きます。また原田先生の「広島の医学史」に関連して、広島大学医学部付属医学資料館や、西区三滝にある、旧広島藩医の後藤家が所有した薬草園である「日渉園」の見学を行なったように、広島市内と県内で訪れることのできる、このテーマに関連する史跡と文化財についても、要所で紹介いたします。

この講義が、日本の科学史をあらためて知る機会になり、また参加者ご自身で関連する史跡を訪れて文化財を見て頂いて、理解を深めて頂けることを願っています。

「広島が生んだ近代の科学史家たち」 担当講師 川和田 晶子

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