コミュニティ広場

受講の感想

アメリカのデモクラシー 
 ─トクヴィル著『アメリカのデモクラシー』を読んで改めて考える─

安芸門徒のあゆみ 受講生 広島市佐伯区 土谷 一友

アメリカの民主主義についての歴史的古典、トクヴィル著『アメリカのデモクラシー』(松本礼二訳、全4巻、岩波文庫/原著は第1巻が1835年、第2巻が1840年の出版)を読んだ。熱のこもった豊かな内容であった。ちょうど2016年のアメリカの大統領選挙が終盤にかかった頃の事である。特に印象に残った数点を取り上げて以下に紹介したい。

著者がこの本の随所に指摘している約200年前のアメリカ社会の喧騒は、この選挙戦の期間中において再び最高潮に達した。意外にもというか、或いは至極当然にというか、そこで生み出された事実によって、著者が本書で指摘する重要な一つのポイントが実証された。それはトランプ大統領の誕生に関わる事情である。

「民主政治の本能のもとでは、民衆が『卓越した人物』を権力から排除する一方、『卓 越した人物』はその本能によって自ら政治的経歴から離れていくものだ。なぜなら、優れた人物にとっても、この世界に留まりながら、自分を変えず、堕落せずに済むことは難しいからである」。

これが著者のデモクラシーに関する基本視点である。卓越した人物は国家の理想を語り、それに沿って国の形を作り上げていくプロセスに精神を集中する。他方、選挙権を付与される民衆は、自らの目前の利害を中心にした政治の在り方を要求する。全体と個の利害の相剋の中で、権力を求め自分の立場を選挙民に有利に訴えるためには、大衆に迎合し、乃至その求めを忖度しながら、先を走らなければならない。それは「卓越した人物」の行く道ではない。著者の視点で見るならば、大衆を徹底的に意識しその求めを先取りしようとしたトランプ氏は「卓越した人物」の対極に位置する人物であり、政治の在り方の理想からすればデモクラシーというシステムが生み出す「畸形児」なのだ。

本書の著者であるA. トクヴィル(Alexis-Charles-Henri Clerel de Tocqueville、1805-59)はフランスの古い貴族の生れで、ナポレオン帝政の後、ルイ18世が即位したフランス復古王政のもとで司法官となった。その矢先、自由主義勢力による7月革命(1830)が起り、ブルボン王朝が崩壊する。これは正統王朝派に属するトクヴィルにとって大事件であった。しかし、彼は、歴史の経過を顧みることを通じ、様々な事象と経緯のなかで、人間の境遇の平等化が絶えることなく進展してきたことを見抜き、それをあたかも神の意思による御業のごとく、一種の宗教的畏怖をもって理解していたのである。それゆえに、「自分自身との戦い」を制し、自由主義を標榜するオルレアン朝への忠誠を誓った。

1831年、新政府の命を受けて、アメリカの「監獄の調査」のために、彼は北の港ル・アーブル港を発ち、40日後にニューヨークに到着する。時に気鋭の25歳。自らの歴史観を、革命も暴力も用いずにデモクラシーを移植したアメリカで検証する絶好の機会であった。北のカナダから南のニューオールリンズを含む、北米大陸の約3分の1にあたる、ミシシッピー川東部の平原部の主要都市を、膨大な情報を集めながら、わずか9か月という短期間でぐるりと一周している。未だ鉄道も車もない時代に、である。なお、この時代には、アパラチア山脈西、エリー湖南西部に位置するシンシナティが西部開拓のフロンティアラインであったらしく、アメリカ合衆国は建国時の13州が24州に拡大していた。

そして、早くも現在のアメリカの統治の仕組みと骨格が、いわゆる建国偉人物語に登場するような名望家たちによって作り上げられていた。しかし、「ワシントンの政界は貴族政治に陥った」というキャンペーンのもと、当時始まった白人男性の普通選挙参加を追い風に、北部の労働者や西部南部の農民を束ねる「ジャクソン連合」を作り、政治には素人の軍人A. ジャクソンが大統領となる(第7代、在任1829-37)。このジャクソニアン・デモクラシーのもと、大統領は「多数者の意思と欲求の後を追い、その意図を忖度して、その先頭に立つ多数者の奴隷」となったのであろう。トクヴィルが描写したこの事情が21世紀の現在のそれと何と酷似していることか。

また興味深いのが人種問題の観察である。初代大統領ワシントンは原住民との関係を、「我々はインディアン諸族より開明的で力もある。彼らを善意をもって寛大に扱うことは我々の名誉である」と述べているが、この精神は実際には生かされず、むしろ南部諸州ではインディアンの完全な放逐政策が進んだ。当時の中央政府の力では、連邦制維持とのバランス上、インディアン保護に関して諸州を統制することは難しく、諸族の滅亡の流れを傍観するしかなかった。チェロキー族が1829年に議会に提出した書簡には彼らの悲痛な叫びがこめられており読む者の心を打つ。

「一国の民として、相続権と太古の昔からの占有に勝るいかなる権利を国土に対して持 ちうるだろうか。いついかなる時に我々がこの権利を失ったと言うのか。祖国を失うに値するどんな罪をわれわれが犯したというのか。」

自らを高貴な生まれつきであると疑わず、未開状態こそが種族の勲章であると考えるインディアンたちを待ち受ける運命であったようだ。

一方黒人奴隷に関しては、特に北部で、制度廃止の流れの下法の不平等が消えても習俗上の差別は深刻化し、両人種の婚姻や一部に投票が許されても、実行は命がけの事であった。なのに、奴隷解放の流れが止むことなく進行するのはなぜか?それは、奴隷を実質上所有しない地方の方が、これを有する地方よりも急速に人口と富が増え、生活水準も上昇したという事実があるからである。著者はオハイオ川を挟む右岸(北東部)のオハイオ州(禁止州)と左岸(南西部)のケンタッキー州(許容州)の対比観察によってこのことを描写する。左岸では人口はまばらで社会はまるで眠っているようだが、右岸では活発な産業がもたらす騒音と豊かな実りが畑を覆う。右岸では活力と知力を傾けて白人があらゆる仕事に手を伸ばしている。それは、白人の労働に対して土地が豊かな資源や収穫を提供して報い、意欲を刺激するからである。彼は致冨の欲望を動機にして、利殖を追求し一種の英雄精神を持つ。他方、左岸の白人は労働を黒人に放り投げ、これを蔑み裕福だが無為な生活に浸り、金儲けの意欲を失う。こうして南部型(左岸)と北部型(右岸)の白人の商業(産業)能力に大きな格差が生じる。あのように残酷な奴隷制度が、主人である白人にとっても大変有害であることを人々は学んでいるのである。(2017.7.30) 

受講講座:「安芸門徒のあゆみ」(2017.4.26~7.12)

 

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