広島の歴史と文化

  • 日 時 : 水曜日 18:30-20:00
  • 会 場 : 上幟教室 (広島市中区上幟町10-15-201 畠田ビル 2F)
  • 座 長 : 香川 正弘
  • 定 員 : 30名
  • 受講料 : 1,000円
日 程 テーマ 講 師
第1回 6月 8日 日本一をめざした西条独創教育
 ── 檜高校長二十六歳からの挑戦
桧高 明子
第2回 7月 6日 唱歌「港」の成立の背景
 ──宇品築港に尽くした千田貞暁
香川 正弘
第3回 9月 7日 厳島神社創建の謎を解く 木本 泉
第4回 10月 5日 残留孤児の見た日本
 ― 昭和28年に満州から帰国して ―
赤崎 大
第5回 11月 2日 広島地方の妙好人 <中止>
※ 平成29年1月「安芸門徒と妙好人」講座に変更予定です
佐々木 浄珠
第6回 12月 7日 広島からのアメリカ移民  New ! 山代 宏道

セミナー趣旨

第1回 日本一をめざした西条独創教育── 檜高校長二十六歳からの挑戦

私は、2015年8月に『愛の独創教育 奇跡の実践 ―檜高校長二十六歳からの挑戦─ 』という本を出版しました。大正12年、広島県西条尋常高等小学校の校長として、26歳の檜高憲三に白羽の矢が立ちます。広島県師範学校附属小学校の教師として、情熱的に教育に取り組んでいた時のことでした。檜高は、当時有名だった「八大教育主張」の一人、千葉命吉の「独創理論」をもとに、独自の「西条独創教育」を築き上げていきます。毎年研究大会を開催し、全国から2000名もの参観者が訪れていました。教育の理想を掲げ、全国に教育の模範を示します。檜高は、23年間、西条小学校の校長を務めました。檜高校長の教育実践は、独創的で、教育の先駆けともいえるものでした。 本講座では「独創」とは何か、そして教育のあり方や教師のあるべき姿を探り、日本人としての生き方・考え方を、原点にかえってもう一度見つめ直す機会にしていただければと思います。

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第2回 唱歌「港」の成立の背景──宇品築港に尽くした千田貞暁

唱歌や童謡などには、歌の背景になった場所というものがあります。明治時代に最もポピュラーだった国民唱歌のひとつが「港」です。この歌は広島の宇品港の活気ある賑わいを歌ったものです。歌の場面となった宇品港は千田貞暁知事の強いリーダーシップでつくられました。千田知事は、貧窮士族の救済と広島が発展していくには港の整備が不可欠であるという信念に基づいて、艱難辛苦を克服し、市民総出・県民支援でこの事業を明治22年11月に完成させ、港と広大な干拓地を得る事ができました。広島にとって宇品築港の功績ははかりがたく大きく、大正14年に国泰寺村を千田町と改名し、千田廟を造営して千田氏を顕彰し、毎年4月23日、千田祭を行い、詩吟柴崎寛山作「讃千田男爵」(神田神社提供)を吟詠しています。近代広島の発展の基はこの築港にあったといっても過言ではありません。唱歌を通して築港の背景と歴史的を考えようとするのが、この講義です。

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第3回 厳島神社創建の謎を解く

海に浮かぶ世界遺産の厳島神社は、平清盛が建設したことで名高い。ただ彼が創建したのではなく、元あった厳島神社への信仰心によって、神社全体を大変身させたのである。有名な平家納経も、元の社殿に平家一門が集まって奉納された。では元からあった厳島神社は、何時どのような経緯で創建されたのだろうか。創建時期については、色んな文書に「推古天皇御宇端正五年癸丑」とある。これは西暦593 年にあたり、日本史でいう古墳時代から飛鳥時代へ移行する時期である。この少し前に中国から伝わった寺院建築を真似て、自然崇拝だった日本人が神の社(ヤシロ)を建て始めたのがこの頃である。すなわち厳島神社は、当時の日本で最新の情報に基づいて建てられたと言っていい。それなら、誰が何のために建てたのだろうか。これに関しては多くの伝承がある。広く知られているのは「市杵島姫命が船でやって来て、それを迎えた佐伯鞍職が神社を建て初代神主になった」というものである。これは一体何を意味しているのだろうか。今回の講義は、厳島神社創建が、日本の古代史の中でどのように位置づけられるかについて、話しをさせていただきたい。

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第4回 残留孤児の見た日本 ―昭和28年に満州から帰国して―

私は中国の旧満州で育ちましたが、ソ連の突然の参戦でそこは生き地獄の様相となりました。 3人の姉妹が終戦翌年1月に、生き延びた母は帰国する1年半前に亡くなりました。父は、すでにシベリアに拘留される途中で亡くなっていました。
4歳上の兄と私の二人が取り残され、昭和28年に、私13歳、兄17歳の二人の兄弟で、興安丸で舞鶴に帰国しました。落ち着いた先は鹿児島県の加治木の叔父の家でしいた。私は、中国では満足な教育も受けていませんでしたが、いきなりの小学6年生へ編入させられ、以後、日本社会に適応するために、幾多の障害を乗り越えねばなりませんでした。残留孤児が、当時の日本をどのように見、そしてどのように生きて来たか、についてお話をしたいと思います。

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第5回 広島地方の妙好人  ( 中止 )

※ 平成29年1月「安芸門徒と妙好人」講座に変更予定です

第6回 広島からのアメリカ移民

「行こかメリケンよー 戻ろかジャパン ここが思案のハワイ国」これは広島からの移民が最も多かったハワイ移民たちが、サトウキビ耕地で歌った労働歌「ホレホレ節」の一節です。3年の契約期間が切れて、さらにアメリカ本土へ移住するのか、もう帰国するのか、ハワイに残留するのか移民たちは思い悩みました。現在の日系アメリカ人を定義するジョークに「もしハワイに親戚がいたら、あなたは日系アメリカ人」というのがありますが、ハワイから本土への転住者が多くいたことを示しています。歴史上、人は移動し異民族や異文化と出会い、新しいものを生み出します。講義では広島からアメリカへの移民の事例を取り上げ、日本人移民の歴史的体験と日系アメリカ人としての自立の問題を考えてみましょう。

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講師紹介

桧高 明子 (ひだか あきこ)

広島県東広島市生まれ。檜高憲三の孫。ノートルダム清心中・高等学校、広島大学学校教育学部卒業。父親が1980年に開校した学習塾「独創学園」を受け継ぎ、小学・中学・高校生の指導に携わる。また、「~癒しの館~フレグランス・ライト」も経営。さまざまな人々の悩みの相談にのり、よりよく生きていくためのアドバイスを行っている。著書『愛の独創教育奇跡の実践 ―檜高校長二十六歳からの挑戦―』(ザメディアジョンプレス、2015)全国の書店やインターネットで販売中。


香川 正弘 (かがわ まさひろ)

1942年、広島県生まれ。広島大学大学院教育学研究科博士課程単位取得中途退学、教育学博士(広島大学)。上智大学名誉教授、専門科目は生涯教育論、研究は「イギリス大学拡張成立史」。NPO法人全日本大学開放推進機構理事長。著作:『よくわかる生涯学習』(共編、ミネルヴァ書房)。趣味は社寺巡り。
NPO法人全日本大学開放推進機構 www.uejp.jp


木本 泉 (きもと いずみ)

1942年、広島生まれ。1965 年、東洋工業(現マツダ)へ入社。車の設計開発の部門に従事。家族とアメリカ駐在。開発主査歴任。1996年よりドイツ系部品会社、ベバストジャパンの役員。退職後、地元街づくりグループ「かみきど倶楽部」代表。宮島口在住。著作『佐伯みち――古代の謎を歩く』、共著『小説佐伯景弘』


赤崎 大 (あかさき ひろし)

1940年、中国吉林省生まれ、1953年に帰国。広島大学教育学部高校教育課程卒業。PL教団の教師(布教師)となり2010年に退職。先妻を60歳で亡くし、65歳で帯子と再婚。倫理法人会や養心の会などの講師として各地で講演を行う。義姉井上わこの続けてきた盲導犬贈呈の活動を引き継ぐ。著書:『満州に輝く星』、『わが満洲』、『哀しみの華 輪島塗』など。


山代 宏道 (やましろ・ひろみち)

1946年広島市の黄金山のふもとで生まれた「日系日本人」です。私には「日系アメリカ人」のイトコたちがいます。祖父母がハワイ移民だったからです。広島大学での専門は「異民族異文化交流史」。現在は、中世ヨーロッパのノルマン人移民と近代の日本人移民の比較研究をしています。ハワイ大学、ケンブリッジ大学、ハーバード大学に通算5年間留学。歴史における人の移動と多文化共生に関心をもっています。